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early spring garden

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3月11日

朝方、一緒に寝ていた息子がうなされていた。声をかけると、気持ち悪い・・・と。
小学校でも胃腸炎が流行っていたので、学校をお休みして病院へ。
急性胃腸炎と診断され、お薬をもらい学校へ報告する。
自宅へ戻り、時より吐き気がある息子の看病をしつつ、二人リビングで休んでいた。

つきっぱなしになっていたテレビから聞こえた『緊急地震速報』の音で飛び起きる。
何秒もしない内に、横揺れが始まる。だんだんと強くなり、電気がストップ。
食器棚を支えながら『もうすぐ終わるから』と息子に声をかけ落ち着かせる。
強く長い横揺れで、軽い物が倒れ、水槽の水がこぼれた。

揺れがおさまると、玄関の扉を開け、出口を確保する。
その後も2回の余震。やはり大きな横揺れ。
出張先から自宅へ戻る途中の主人からケータイに電話がくる。
『大丈夫?震度7だったって!』との言葉に驚く。。。
主人が自宅に戻るまで、だいたい20分くらいかな・・・などと考える。
寝起きでボーッとしていた頭が冴える程、ジワジワと不安になってきたが、意外と冷静。下の階のお友達にも、玄関の扉を開けておくように伝える。

津波も頭をよぎったが、自宅は海から離れた鉄筋コンクリートのマンション3階。普段からここは大丈夫と聞いていたので、水や貴重品などをまとめつつ、取りあえず自宅で主人の帰りを待つ。

主人帰宅後、水や貴重品なども持ち車に避難。ニュージーランドの地震が思い出された。
この時間帯は、どの家庭もご主人が不在。加えて、地元出身者が少ないマンションでは、うちの主人が唯一頼りになる存在だった。その為、ご近所と声を掛け合い、駐車場に集まっていた。

車のテレビからだったか? 津波10mの情報にさすがに不安になり、近くの高台まで車で避難。移動中、建物の倒壊などは目につかなかった。
白鳥がきれいに並んで空を飛ぶ姿が見えた。危険を察知していたのかな・・・?
この時はまだ、大袈裟なようにも感じていたが、すでに何台かの車が避難してきていた。

車のテレビにかじりつく。中継画面は仙台名取の津波。現実の事とは思えなかった。
この頃には、使っていたケータイが繋がらなくなる。。。
同じ場所に避難してきていた、主人の会社の先輩が、勤務中の社員と連絡がとれる。社員は無事だったものの、海沿いの会社は津波の被害にあったらしい。
私たちの街にも、津波はきていた。

先輩が情報収集の為、車を離れた。本当は行ってほしくなかった。
暫くして戻ってきた先輩は、ケータイのカメラで会社を写してきていた。
事務所の建物も、設備も、津波の力で見た事の無い現実にされていた。。。

外が暗くなり始め、雪もチラつく。暗くなる程、この先どうなるのか?という不安が大きくなった。この間も、ずっと余震が続いていた。
周囲が暗くなった頃、一旦、会社の寮に集まりミーティング。主人は明日、朝から出社になった。

停電が続く自宅に戻ると、駐車場から満天の星空が見えた。月明かりと遅くまで走る車のヘッドライトで明るい夜だった。
ろうそく2個と小さなライト1つの明かりで、夕食はカセットコンロであり合わせの鍋を作った。私は食べる事よりも、着替えや身の回りの物をまとめるのに夢中だった。
乾電池やカセットコンロの買い置きが無いな・・・。
薄暗い中、今欲しい物をメモする。水・ろうそく・ガソリン(常に満タン)

布団に入るも、余震が続き、なかなか寝付けない。
1日寝ていた息子は、少し熱っぽくなっていた。
ケータイはついに『圏外』の表示に変わっていて、とうとう実家と連絡がつかなかった。
みんな心配しているだろうな・・・。
by es-violette | 2011-03-11 15:00 | 日々